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傷から解放された日

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ある人に「聞きにくいことを聞いてもいいですか?」と言われました。

「何でもどうぞ」と答えながらも身構えていると「その唇の下の傷はどうしたんですか?」と。この質問で20数年ぶりに自分の顔に傷があることを思い出しました。

19歳の時。クラブの合宿で体調を崩して自宅の2階で横になっていました。1階のトイレに行こうと階段を降りている途中、気を失い転げ落ちます。前歯が唇の下の皮膚を貫通。ぱっかりと切れた皮膚を、外からと中からのダブルで縫う羽目に。唇の下には1cm強のぷっくりとした傷が残りました。

当時私自身は「目立つものでもないし」とあまり気にしていませんでした。けれど母は私の顔を見るたび「この傷がなあ」と嘆きます。「本人は全然気にしてないよ」何度言っても納得しません。

その後、私は放送局で仕事を始めます。テレビではよく視聴者から本編とは関係のない、着ている服や化粧への意見が寄せられることがあります。けれど視聴者から傷について指摘されたことはありませんでしたし、担当ディレクターから傷を化粧で隠すよう言われたこともありませんでした。ただ母だけがこだわりました。母はテレビに映る私ではなく、顔の傷ばかりを見ていたのだと思います。

ここまで言われると、気にしていなかった私もだんだん鏡を見るたび傷に目がいくようになります。

そして「もう一度手術をしてもらう方がいい」母の度重なる懇願に根負けし、数年後、形成外科を受診します。

診察ではいろいろな角度から写真を撮りました。「怒った時と笑った時、どちらの方が目立たないようにしますか?」という何だかわけのわからない質問にも「笑った時です」とにこやかに答え、いよいよ手術日を決めるとなった時に医師が言いました。「手術後1か月はしゃべらないようにしてくださいね。口を動かすとせっかく治した傷が元に戻ってしまうので」

当時いくつか番組を担当していた私にとって、1か月しゃべらないで過ごすなど守れない条件でした。今ならこんなことはないのかもしれませんが、何せ20年以上前の治療の話です。

「それなら手術は受けられません」。帰り道「あの長い診察はなんだったのか」と思いつつも「もうこれで母も手術、手術とは言わないだろう」という安堵感が広がっていきました。

帰宅後、母に診察結果を説明し、さらに「傷はきれいに治っているほうらしいよ」と医師の言葉も加えました。この言葉も後押しになったのか、それから母は傷のことを口にしなくなりました。

母が傷について触れなくなって、鏡に映る私の顔から傷が消えました。私はやっと解放されたのです。

「家にいながら怪我をした」「娘の顔に傷ができた」母にはいろんな思いがあったのだと思います。「治せるものなら治させたい」親の愛は痛いほど感じるものの、したくもない手術を勧め続ける母の言葉は私を苦しめました。形成外科に行ったのも「手術をすることで母の希望をかなえることができる」ただそのためだけでした。

がん治療でも、家族が積極的にあれこれ調べ「この治療を受けてみよう」「この病院に行ってみたら」など患者本人に強く勧めることがあります。家族は良くなってほしい一心なのですが、それが本人の負担になることもあります。家族と本人の思いが一致していればいいのですが、両者の思いは時に食い違います。

「もっといろいろな治療を受けてほしい」と家族に言われると、これ以上はと思っていても頑張ってしまいます。「もっと食べないと」と言われると、心配をかけないために無理して食べようとしてしまいます。

こうしたことが続くと患者は身動きが取れなくなっていくのです。自分の意思を押し殺してただ家族のために頑張るだけでは、どんどん追い詰められます。

家族も同じように苦しんでいるということは「家族もがんサバイバー」にも書きましたが、治療の主役はあくまでも患者本人。そこを見失うと、家族の愛情は暴走します。こんな時こそ「本人はどう思っているのか。何を希望しているのか」という原点に立ち返ってほしいのです。

「その傷はどうしたんですか?」と問われた日、顔の傷を久しぶりに確認しました。あの日の安堵感が一気によみがえります。傷がいつの間にか薄くなっていて少し笑いました。「母の願い」という呪縛から解放されたあの日から、私の人生は豊かなものになったと思います。

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