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情報を見極めるために

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情報を見極めるために

今朝、週刊ポストの新聞広告に「糖質制限でがん細胞が消えた」という見出しが躍っていました。「臨床試験で8割の末期がんで改善された」とも書かれています。私が末期がん患者なら引き付けられるだろうなと思える見出しです。

この記事に出てくる治療に関しては、少し前のYahoo!ニュースで取り上げられた時に、緩和医療医の大津秀一さんがブログ『医療の一隅と、人の生を照らす』で丁寧に解説されていましたので、是非一度読まれることをお薦めします。

大津さんは、この治療結果の説明箇所「糖質制限を抗がん剤や放射線などの化学療法と併用する」と言う部分にまず注目しています。これでは糖質制限か化学療法かどちらで効果が出たのかがわからないという指摘です。

これは素人でもおかしいと思えるところです。一つの治療法の効果を示すのに、他の治療も併用して、どうして証明ができるのでしょう。

またステージⅣの患者を末期と称していることの誤りも指摘されていました。そもそもステージⅣは末期ではないし、その上、未だ治療を受けている患者ならなおさら末期とは言えないと。確かに「末期患者」と称すれば、本来救えない患者を救ったというイメージが強くなります。

データそのものに疑問がわくこうした場合以外に、データの切り取り方、見せ方でも受け手を誘導することは可能です。

私は消費生活アドバイザー仲間との研究会で、専門家のもと、経済データの可視化に取り組んできました。ご指導いただく先生が、独自に開発したデータ処理システムを活用してのグラフ化です。データのグラフ化は、講座などで一般消費者に示す時に、理解してもらいやすくなるので重要な要素です。より示しやすいものを選ぶ意味でも、様々なグラフ化手法を持っておくことも強みになり学んでいました。

データを可視化していく時に、まずは「こういった結果になるのでは?」と仮説を立てます。そうして適したデータを探し、グラフ化してみるのですが、思った通りのグラフにならないことがしばしばあります。その場合、当然仮説を見直さなければいけないのですが、そうはせず初めの仮説にこだわりすぎると、意図に沿ったデータを探す方に力を入れてしまい、事実を歪めかねません。

このような事例は、企業広告やテレビ番組でもしばしば見受けられます。示したい数値を目立たせるために目盛が改ざんされていたり、グラフのどこかだけを不自然に大きくしていたり、無理なデータを引っ張ってきたりなどです。こうした意図的なものに、受け手は知らず知らずのうちに誘導されてしまいます。情報リテラシーの大切さとその教育の必要性を感じます。

昨今メディアの医療記事は医療不信を煽るものか、根拠に乏しい治療法をセンセーショナルに伝えるものが多数を占めます。とくにがん治療は関心が高く、取り上げれば売れるためか、この種の記事ばかりが目立ちます。

その一方で本当に役立つ情報は、派手な記事の陰に隠れがちですし、そもそもメディアの取材の手薄さを感じます。

毎年開かれている米国臨床腫瘍学会の年次総会が今年も6月に米国で開かれたのですが、日本のマスコミが来ていないというのです。この学会は最新のがん情報が発信される世界最大規模のもので、世界の専門家はもとより、世界の大手メディアもこぞって参加します。そこに日本のメディアが来ないというのです。最前線に赴いて、いち早く学び消化して報ずることが使命のはず。病と向き合う患者はこうした情報こそ必要としているのですから。

医療記事はなんのためにあるのか、その基本に立ち返る時ではないかと思います。取材者が命に関わる情報を扱っているという自覚を持たない限り、いい加減な医療情報はなくならない気がします。

同時に受け手も情報を選択する目を持たなくてはいけません。今は多くの医療者が情報発信をされています。「この記事の治療法はどうだろう」と思った時、SNSなどで検索をかければ、その治療法に関しての専門家の意見も見つかるようになってきました。最後は患者の自己選択だけに、そうした反論もしっかり読んで判断していきたいもの。

そのためにも怪しい記事に対して、専門家には根拠のある意見をまめに発信してもらいたいと願います。そうすれば患者が目や耳にする機会も増えますし、そうした発信を通して、患者が医療情報の見方や注意点を知る機会をたくさん得れば、選択の目も養われ、ひいてはレベルの低い記事の淘汰にもつながっていくのではないかと思います。

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