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『自閉症の君が教えてくれたこと』を見て思ったこと

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録画しておいたNHKスペシャル『自閉症の君が教えてくれたこと』を遅ればせながら見ました。この番組は、2年前に放送された『君が僕の息子について教えてくれたこと』の続編です。

主人公の東田直樹さんは自閉症で、普段人と会話ができませんが、文字盤を前にすると、アルファベットを指で指しながら言葉を発することができ、会話が成り立つ稀有な人です。

彼が13歳の時に書いた本『自閉症の僕が跳びはねる理由』の発売は衝撃的で、存在が広く知られるきっかけになりました。その後自閉症の子どもを持つアイルランドの作家、デビッド・ミッシェルさんによって英語に翻訳され、今では30か国でベストセラーになっています。

番組は東田さんとミッシェルさん、そして認知症の東田さんの祖母の3人を軸に、がん患者の番組ディレクターの思いを絡めながら進行します。

担当ディレクターは2年前の番組が賞を受賞したあとにがんが判明し、1年間の闘病後、仕事に復帰します。思いがけず病というハンディキャップを背負い、これから生きていく上で、もう一度東田さんを見つめ直したいという思いが高まり、続編を作ったそうです。

私が東田さんを知ったのは、ビッグイシューという雑誌での連載でした。書かれているエッセイを読んで、自閉症といっても軽度、というイメージを勝手に持っていたので、今回初めて動く東田さんを見て驚きました。そこには自閉症の一般的なイメージ通りの青年がいたからです。人とコミュニケーションがとれない、勝手に走り出すなど奇妙な行動をする、まさに重度の自閉症の人がそこには映っていました。

「自分が辛いのは我慢ができます。しかし自分がいることで周りを不幸にしていることには耐えられないのです。」この東田さんの言葉には、突飛な行動をしてしまう自分を持て余し、さらにそのことで周りの大切な人に迷惑をかける辛さが痛いほど表れています。ここまで感じる心を持ちながら、わかってもらえず生きるのは、どれだけしんどいことだろうと胸が痛みます。

街や電車の中で時々自閉症の方を見かけますが、その人たちに思いや考えがあるなど、これまで想像すらしてきませんでした。言葉で伝えられる当事者が現れたことで、勝手な思い込みがもたらす、罪というものを思い知らされました。

番組で東田さんは、認知症の祖母の気持ちも自分ならわかるのではないかと考え、祖母を訪ねます。けれど祖母と接して、わかると思っていた自分に疑問を持ち始めます。実は番組の中で、私が最も心を動かされたのがこの場面でした。

大きなハンデを持ち、苦しみながら生きてきた東田さんでも、認知症の祖母の思いがわかるかというと、実はそうではなかった。自閉症である自分のことはわかっても、認知症である祖母の心はわからないのです。この当たり前の事実が、東田さんに容赦なく突き付けられ、さらに見ている私も、彼を万能視する愚かさに気づかされます。

重い病を持っている、障害を持っている、或いは障害のある子どもを育てている、闘病中の家族を抱えている、こうした様々なハンデを抱えて生きる人たちの思いや悩みは当然のことながら多種多様です。もっと突き詰めれば、同じハンデであっても、人の顔が違うように、思いや悩みは異なります。ハンデを持つ者同士、辛さの共有はできても、辛さのすべてを分かり合えるわけではないのです。

近年は認知症の方でも自らのことを話す人が出てきました。そのことで想像することしかできなかった思いを、当事者の言葉によって知ることができるようになってきました。いろんなハンデを背負って生きる人たちが、自ら語ることは、等身大の存在を世に知らしめることにもなります。

「私はこう感じています」「私はこれがしんどいです」「私はこれならできます」そんな思いを、その立場の人それぞれが声に出すことで、周りの人たちが気づき、世の中が動き出すきっかけになるのだと思います。ここに、あそこに、生きにくい人がいる。そうした見える小さな点を増やしていくことで、様々な少数派の人たちが生きやすい世の中に少しは近づいていけるのではないか。

「当事者こそ語る」そしてその小さな声に誰もが「耳を傾ける」、そんな大事なことを再認識した番組でした。

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